メン高裏門前に救急車と消防車が乗りつけた。救急車は僕が呼んだものだが、消防車は多分近所の誰かが電話したのだろう。
「道に落ちてたメンを拾う~♪ 再び洗って陽に干した~♪」
この事態にパニック起こした竜也が虚ろに歌ってる。
「お名前は? 年齢は?」
救急車から白い服を着た3人の男性が飛び出してきた。
「うぅぅ……トリじゃあ~……」
トリ先生は校庭に寝転んで呻いている。ボヤを出した倉庫から、僕らで必死に引きずってここまで運んできたのだ。
「モチを喉に?」
「またかよっ!」
なんて救急隊員たちが叫んで、トリ先生を抱えて車内へ入っていった。
倉庫の方へ消防隊が駆けて行くのを横目に、僕らも慌てて救急車に乗り込む。
倉庫の方へ消防隊が駆けて行くのを横目に、僕らも慌てて救急車に乗り込む。
ああ、大変なことになった。車内は細い寝台と、あと壁一面に色んな機械が設置されている。救急車に乗ったのは生まれて初めてだ。
おじいちゃんの車に足を轢かれて骨折した時も、そのおじいちゃんの車で病院に連れて行ってもらったわけだし。
「グォォォ!」
物凄い声をあげて喉元をかきむしるトリ先生の腕を、僕はつかんだ。
「しっかり……しっかりしてくださいッ!」
「グヌォォォォッ! 息がァァ……」
段々、声が掠れてきた。救急隊員は1人は運転席、1人は電話片手に問診を始め、残った1人が手際良くトリ先生の熱と血圧を測った。
「あの、多分モチを喉につめて……」
オロオロしながら説明すると、救急隊員はチラッとこっちを見やる。
「こういうのは、よくあることですか?」
いや、よくあることでは……ないよな? て言うか、こんなこと頻繁にあってたまるか!
「はい、去年も同じことがありました。その前の年も」
曽良三々がとんでもないことを言い出す。同乗した水口楓と鴨も頷いたところを見ると、どうやらデタラメや受け狙いではなさそうだ。
僕と救急隊員の顔が引き攣った。竜也ですら驚いたように、歌っていた校歌を途中で止める。
「メン郎ッ♪ ……毎年って、この人何なの? 学習しないの?」
「グゥゥーーーッ! ワシは死ぬのかぁ……」
うなされてるみたい。トリ先生の掠れた声に、一同一斉に我に返った様子。
「け、血液中の酸素量を……」
救急隊員、トリ先生の酸素を測るため小さな機械を彼女の左手人差し指にはさもうとして、それから小さく息を呑んだ。
「あっ、指が……っ!」
「ワシの……ワシの指……6本の指が何か……」
絶妙なタイミングでのうわ言。
「ろっぽんのゆび。ろっぽんのゆび……いちどでいいからトモダチがほしかった……」
「い、いえ、違います。何でもありません。指なんて見てません」
まだ若いその隊員、慌ててフォロー入れてる。色々ある救急現場でも、やっぱり6本の指は珍しいみたいだ。
小指の横にニョキと出たそれを、なるべく見ないようにしながら人差し指で酸素を測る。
「80か……!」
切羽詰った声に、同乗の僕らの不安もいや増した。
かかりつけ医は特にいないと言うと、救急隊員はとりあえず近くの救急病院に電話を入れ始めた。しかし、何だか芳しくないらしい。正月だからそもそも人が出てこないのだ。
次にかけた所は人は出たものの「付き添いは? え、学生?」という声が受話器から漏れてくる。どうやら断られたっぽい。
「ウッ……ウゥゥ……」
突然トリ先生の顔色が変わった。真っ白になって、とにかくヨダレがドクドク溢れだす。
「こ、こういう状態なんです。早く……早く何とかして!」
僕はトリ先生の手を握り締め、必死に叫んでいた。
何本目かの電話を救急隊員が切る。険しい表情だ。一向に搬送先が見付からないのだ。救急車に乗り込んでから30分──ただ空しく時間が過ぎていた。
「これがニュースでお馴染みのたらい回しってやつですか」
水口楓がそんなことを言う。何、落ち着いてるんだよ。
「早く、早く何とかしてください! トリ先生ッ!」
彼女は「ゲェッ、ゲェーッ」と変な呼吸で……何だろう。まさか虫の息ってやつなのか?
「トリちゃん」苦しむトリ先生の手を、曽良三々がそっと握った。「トリちゃんはもうすぐ死ぬよ。みんないつかはそこに辿り着くんだ」
「エッ? ワ、ワシはまだ……」
薄れゆく意識の中で、しかしトリ先生はブンブン首を振った。だが曽良三々はお構いなしだ。いつもの感じでどこか遠くを見ている。
「白い大きな光に向かって、迷わず飛んでいくんだ」
「しろいおおきなひかり……?」
「そう。明るいけど、決して眩しくはない光」
「ひかり……」
あれ? トリ先生の視線が段々トロリと不確かになってきた──ヤバイ!
「その光の中に溶け込んでいくんだ。トリちゃんは、光の中で消えるけど、居なくならない。居なくなるけど、無くならない」
そう、スープのスパイスのように──と曽良三々は付け加える。スパイスは溶けて無くなるけど、1つ1つがスープの味を作っていくんだ。
「……ワシは居なくなるけど、無くならない……」トリ先生の虚ろな視線に穏やかな光がともった。「いなくなるけど、なくならない……」
「ヤ、ヤバイです! トリ先生、しっかり! あんたも何の布教ですか、それ!」
書道家じゃなく、宗教家になれよ。
「兄ちゃん……、竜也もいつかは……。居なくなるけど、無くならない……」
何故かピンク作務衣が感動して泣き出した。
車内に一瞬、妙な空気が流れる。恐怖に震えていた心が、少し安らぐような──いや、僕は全然安らいじゃいないけど。
「そうか、怖くない。怖いことじゃないのじゃな……」
トリ先生が静かに目を閉じたその時だ。
「はい、今から連れて行きます!」
救急隊員の大きな声に僕と、それから多分トリ先生も我に返った。
「ハッ! ワ、ワシは諦めない……」
なんてゴニョゴニョ言ってる。
そんな彼女を励ますように、救急車は甲高いサイレンを鳴らしてようやく走り出した。ああ、何だか頼もしい。
しかし、音はすぐに止まった。
「え?」
学校から一筋向こうに行った所で、大した説明もなく扉が開き僕らは吐き出されるように道路に降り立った。隊員2人に抱えられてトリ先生もすぐに連れ降ろされる。
何とも貧相なボロ屋が目の前にある。
何だ、ここ? マサカ! 小さな看板が掛かっている事に気付いた僕はものすごく嫌な予感に慄いた。掠れた文字は中村医院と読めたのだ。
「か、か、患者はどこかえ?」
中村医院の玄関がションボリした感じで開いて、膝をカクカク震わせたおじいさんが出て来た。目をショボショボさせながらトリ先生に視線を止める。
「か、か、患者ぁ……」
ヨロヨロしながらも、ものすごい形相でトリ先生の元へ突進してきた。
「ひぃぃ……!」
トリ先生、その場でカクッと失神する。
「こ、ここ……ヤブで評判の診療所だよ……?」
竜也が青ざめた。動じない事で有名な曽良三々も水口楓と顔を見合わせ、不安そうに立ち竦む。鴨はじめの顔色も悪い。
咄嗟に振り返ると、頼みの綱の救急隊員は静かに素早く撤収していた。音もなく走り去る救急車。日本の救命医療環境ってこうなの? こんなに過酷なの?
カクカク動く中村医師(?)は白目剥いたトリ先生を背負うとボロ屋の中に消えていった。仕方なく僕たちも後を追う。
「と、と、都会じゃ多いんですよぉ。10回以上搬入を断られるくらい普通のことでねぇ」
「……あの?」
「こ、こ、この人は運が良かったねぇ。うちに来れて。正月はどこも受け入れてはくれないでしょうよぉ」
「……あ、あの?」
「か、か、患者さん……」
カクカクしながら、中村医師はトリ先生を床に(床に、だ!)寝かせると、掃除機を引きずってきた。かなり古い型の家庭用のものだ。
プラグを引っ張ると、自然な動作でそれをコンセントに差し込む。ホースを差してスイッチを入れるのは、日常のごく普通のお掃除の光景だ。この場に、実にそぐわない。
「あの、まさか……?」
何だろう。僕、ものすごく嫌な予感がする。
「く、く、口を開けなさい。患者さん」
信じられないことに、中村医師は平気な顔してホースの先をトリ先生の口に突っ込んだ。絶妙のタイミングでトリ先生、意識を取り戻す。
「うげーーーーッ! ごもぅーー……ッ!」
こもった悲鳴と共に、何かがキュインと吸い込まれる音。僕らは手を取り合って、凍りついたようにその光景を見守るだけ。
「お、お、終わりですよぉ。患者さん」
「う、ううぅ……」
トリ先生、荒い息で再び失神した。
※
「モ、モ、モチを無理矢理引き剥がしたから、喉が炎症を起こしていますよぉ。一週間、吸入薬をつかってくださいよぉ」
オレンジ色の吸入器を渡され、やたら高い診察代を払って僕達はトボトボ帰路についた。
「掃除機って……! 掃除機って……ゴホゴホ。あんまりじゃ!」
トリ先生、やたら元気だ。憤慨した様子である。もうちょっと丁寧に扱って欲しかったらしい。ただし、みんなに慰める余力は残っていない。
「トリ先生……、ちゃんと咀嚼してくださいって言って……」
僕も何だか、ものすごく疲れてしまった。
「アアッ! 正月だから書初めすりゃよかった!」
1年で1番書道部らしい行事をトバしてた、と後々──意外と律儀にトリ先生が悔やんでいた。
【2月・前編につづく】