何だか様子がおかしい。ワンちゃん、突然ガニマタになって止まってしまった。顔色が真っ白だ。ただ事じゃない。
「おおおお腹が痛い……」
「も、盲腸か? 大変や!」
公衆電話を求めて周囲を見回すアタシの腕を、もの凄い力がつかんだ。ワンちゃんだ。
「イイイエ……、原因はコレですぅ。パンツでお腹、押さえ付けすぎてるんです。ファファファスナー全開にするんで……ボボボタンも外したいんで、いいい家に着くまで、あたしの前にピッタリ立っててくださいぃ」
言うなり往来の真ん中でズボンのファスナーを下ろし始めた。
「何やってんの! そんなに苦しいんやったら返品しといで! アタシ、言ったげるから」
「いいいいえ、大丈夫ですから……」
「何が大丈夫なん? 根拠ないやろ」
ワンちゃんはアタシの背中にピッタリくっついてズルズル歩き始めた。前屈みになって「うぅぅ……」と呻いている。仕方なくアタシもゆっくりとオールド・ストーリーJ館に向けて歩を進める。早く帰ってやりたいけど、あまり急いではワンちゃんが倒れる。
「アタシ、痛(イタ)イで。だってまさかの高校浪人やもん」
少しでもワンちゃんの気を逸らせようと、アタシは自分の話を始めた。
「何か知らんけど私立も公立も全部落ちてしもてん。4月はショックでボーっとしてたけど、5月になって突然いたたまれなくなってお姉んとこ(こっち)来てん。家出みたいなもんやわ」
「でででもリカさんが来てくれて、あたしは嬉しいです。ととと友達がいないんです」
「そ、そうなんや……?」
痛い告白やわ、お互いに。
「このアパートに住んでるって言うと、みみみみんな離れていくんです。どどどうしてこんなに悪い噂が立ってるんでしょう」
「悪い噂って? オールド・ストーリーJ館に?」
幽霊が出るとか、変人が住んでいるとか、大家がガメツイとか、ここに住むと全員引きこもり体質になるとか……。それはそれはおかしな噂なんですぅぅと嘆くようにワンちゃんは言った。
「大部分正しい指摘やわ、それ」
特に大家がガメツイ云々は噂じゃない。完全な事実だ。
しかしワンちゃんはプルプルと首を振った。
「おおお大家さんは、キレイで賢くて優しくて穏やかで……あああ憧れます」
「穏やかッ!? そ、そうかな…」
あの人の本性を知ってるだけに、アタシは複雑な気分だ。世話になっといて何やけど、アタシはあんな女にはなりたくない。お姉は人の後ろから「突撃せよ」と命令するような人や。非情な指揮官タイプや。或いは非道な黒幕タイプか。決して表には出ようとしない。
アタシは自分で闘える女になりたいねん。そう、たとえ一人でも!
さすがにそんな恥ずかしいことは口にはできず、アタシたちは微妙な沈黙の中、汽車ポッポごっこのような変な格好で商店街を抜けた。
そこで事件が起こった!
【つづく】
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