曽良三々、飲み終わったジュースのペットボトルをペコペコへこませて遊んでいる。
「や、やめて下さい。その音……ああ、その音っ!」
実は僕はこの音が大嫌いだ。ガラスに爪を立てるキィーッというアレや、黒板に爪立てるキィーッというアレよりもずっとダメ。
すると曽良三々、ちらっとこっちを向いた。うっすらと笑っているのが分かる。
「何の音をやめてほしいんですか」
両手使って更に激しくペコペコ言わせ始めた。
「何の音をやめてほしいですか、原田タロー」
ムカツク。何で敬語なんだよ!
「それを……そのペットボトルの音をやめてって……ああっ! やめてぇ」
「ペットボトルの音? 何ですか?」
「ああっ! あんッ!」
チクショー! 普段はポケッとしてるくせにコイツ、どんだけSなんだよ。
そこへガラリと扉が開いた。
「何をやってるんですか。何のプレイですか」
水口楓だ。続いて入ってきた竜也に僕、すごい目で睨まれた。
「うちの兄ちゃんにイヤラシイ目を向けないで」
「え、別に僕……」
むしろこっちが被害者なのに。抗議しようと口を開きかけるも、竜也の視線が恐ろしすぎる。
「うちの兄ちゃんにヤらしい目を向けないで!」
「は、はい。スミマセン」
何とも言えん怖い弟だ。僕はただコクコク頷くだけだった。
「あれ、トリちゃんは?」
鴨はじめが書道室を見回す。
定位置に、あの独特の姿はない。
例のデートの日以来、トリ先生は部室に姿を現さなくなっていた。ニューハーフと間違えた僕に対して、許しがたい怒りを抱いているらしい。ノラリクラリとした彼女が本気で怒ったとこ、初めて見た。しかもその件、いつの間にか字ャっ部のみんなが知ってるし。
「ブフッ!」
竜也がニタリと笑った。
「悪いけど……ブフフッ! 悪いけどそれは騙される方がどうかしてんだよ、タローくん。トリちゃんが男なわけないじゃん。さすがにナイって」
「だ、だって! 竜也がまことしやかに言うから……だから!」
初めてのデートで必死になって告って、まさかの大失敗だよ。
「竜也のせいだし」
責めても仕方ない。竜也は冗談のつもりで言ったんだ。分かってる。この場合、
騙された自分がどうかしてたんだ。
「タローくん、泣かないで。ブッ!」
「な、泣いてない……」
僕は目を擦った。ヤバイ。本気で視界が霞んできた。このままトリ先生に恨まれたまま一生を終えるのかと思うと、ちょっとやり切れない。
何とかしてフォローしないと。焦りだけが生じて、肝心のトリ先生には会えないという悪循環。
それでもこの前、トリ先生にせめて誕生日だけでも聞き出しといて良かった。幸いなことに、彼女の誕生日は1週間後だ。
──何が欲しいですか?
──土地。
尋ねてみるとそう言い切った。それから慌てて首を振る。
──アッ、違う! トモダチ。欲しいのは、トモダチ。
トリ先生の意外と人間臭い欲深さを垣間見た一瞬だった。
「そうだ」
いいことを思いついた僕は、字ゃっ部の面々を見回した。
「トリ先生の誕生日にサプライズパーティーしましょぅよ。トリ先生、友達いないから、今まで誕生日を祝ってもらったことないって言って喜びますよ」
すると奴等、顔を見合わせて肩を竦める。
「タローくん、あまりトリちゃんをバカにすんなよ」
「誕生パーティくらい経験してる筈だ」
「トリちゃんにだって人権があるんですよ。不当な貶めは許されませんよ」
え? あんたらいつもそのスタンスじゃ……?
「トリちゃんの誕生日か」
今まで黙っていた曽良三々が口を拓いたのはその時だ。整った顔に、中途半端な笑みを浮かべている。
「トリちゃんの誕生祝い、墨すり器にしようか」
「墨すり機って電動で墨を磨ってくれる、あのしょぼい器械?」
ソレ、部の備品じゃないですか。あんまりです! むしろ欲しがってたの、あんただろうが。
「墨すり器ってあんなにショボイ感じなのに2万円からするんだ。だからみんなでバイトをしよう」
「バイト?」
曽良三々、やけに自信満々に頷く。
「いいバイトがあるんだ」
「……いいバイト?」
胡散臭いことこの上ない。どうでもいいけど高3の9月でしょ、あんた。受験はどうなってるんですかねぇ!
まぁ、僕としてはトリ先生の誕生日に向けてバイトして金貯めようって思ってたところだ。
「渡りに船と喜ぶべきか、胡散臭いと用心すべきか……」
微妙なラインだ。特に曽良三々の持ってきた話となると。
「あの、運ビ系とかだったら僕はちょっと……」
「ハコビ? 何それ」
「いや、あの、クスリとかだったら僕はちょっと」
「薬? 薬局のバイト?」
「いや、あの……あ、いや、いいです。どうでもいいです」
ああ、この人、天然だったんだ。
「さて、みんな乗り気になったところで」
有無を言わせぬ強引さで曽良三々が出してきたのは大量の料紙(書道で使うキレイな加工した高価な紙)だった。更にその場の全員にメモを配る。
「何ですか? 昼の会席~竹の膳? 先付・たい、いか? 八寸・鮭の昆布締め、イクラ、そら豆?」
焼き物や酢の物、ご飯にデザートまで。そのメモには和食っぽいメニューがつらつらと書かれていた。
「そのメニューをこの料紙に書く。筆で書く。キレイにミバよく書く」
どうやら曽良三々が個人的に近所の料理屋に頼まれたらしい。手書きのお品書きを100枚──今週中に納入するという。否応なく戦力に数えられているらしい僕たち。
「確かにいいバイトかもしれないですけど。いいんですか? あんたら受験生……いや、今更それは言いませんよ。でも、さ来月アタマは文化祭じゃないですか。書道部として、今の時期に本格的な作品作りに取り組まなければ意味ないですよ。何せ夏休みが丸潰れたのでね」
試しにマジメなこと言ってみたけど、この人は聞く耳持たない。無理矢理、小筆を渡されて料紙の前に座らされる。
「ハイ、スタート!」
誰も逆らえない。副部長の号令の下、僕らは光沢ある墨を筆に含ませた。
「き、緊張する……」
隣りで鴨が震えている。奴が持っているのは『お昼の会席・梅の膳』だ。ちなみに竜也が松の膳、僕は竹。水口楓と曽良三々本人は夜の特別会席を受け持っている。何だ、この微妙な序列?
金箔や銀箔が散らされた薄い水色の高級紙。この小さな紙1枚で200円以上するんだと知ってる。失敗は許されない。曽良三々に吊るされる。そう考えると確かに手も震えてこよう。
チラッチラッと様子を伺うと勘違いした曽良三々、いい笑顔で僕の元へやって来た。
「お品書きは1行の文字数ってのが自ずと決まってくる。縦書きの場合、見栄えする感じでいこうと思ったら文字の横線の長さと縦線の太さのバランスがポイントなんだ。
「あ、はぁ……なるほど」
黒作務衣、したり顔でサラサラ筆を走らせる。お手本を書いてくれた。うん、確かにうまい。
「スゴイ。書道部って感じします。不本意ながら入ったものの、有意義な部活動してるって今、初めて思いました」
「フーン」
曽良三々、何故か一気に冷めた。分かんねぇ、この人。
ともかくお手本を元に、僕は昼の会席~竹の膳を丁寧に書いていく。
こうして僕たちは黙々とお品書きを仕上げていった。墨の匂い。ピンと張り詰めた緊張感と静けさ。認めたくないけど、この空間──何だか心地良い。
曽良三々と水口楓はさすがのスピードだ。僕の何倍もの速さで仕上げていく。
「ところで、これは1枚幾らになるんです?」
水口楓の欲深な舌なめずりで、沈黙は破られた。結局この緑作務衣は金が大好きなんだ。執着がスゴイ! でもソレ、僕も気になる。
「プロなら1枚で2、3千円とれるんだけど。私たちは学生だし、叩かれちゃった」
黒作務衣、実にあっさり言った。
1文字・1円だと。
「1文字1円ですか!」
この人はまた、金に執着がなさすぎるんだ。
僕は今まで必死に書いた字を数えてみる。46文字だ。次に時計を見る。書き始めてからちょうど1時間。
「時給46円……?」
あーああーーーあああー!
突然、緑作務衣が叫びだした。
「ワリに合わないですねぇ。ええ、実にワリに合わないアルバイトですよ! 曽良君、あなた騙されてますよ」
容赦ないその言い方に、曽良三々がムッとするのが分かる。
「止めてください、水口先輩。た、確かにお値段グッとお安めですけど、書道部として間違っちゃいない方向です。いい勉強になります」
何で僕が必死になってフォローしないといけないんだ。
「でも……でも墨すり器ほしいもん」
まるで駄々っ子のよう。あくまでそう主張する曽良三々。
何言ってんだ、この人。よくよく考えたら全員分の墨磨ってるの、大抵僕と鴨だろうが。
この場合、1年の2人が磨るってんならまだ分かる。でも僕と鴨が汗だくで手を動かしている間、竜也は涼しい顔してマンガ読んでるし。常に腑に落ちない思いを抱いていたんだよ。
「出入りの業者から買えば、墨すり機だって一割引だ!」
それが何の慰めになるのか……。2万円の1割引──つまり1万8千円。1文字1円という気の遠くなるその世界。つまり1万8千字。
──僕たちは再び筆をとった。
こうして5日間かけて僕たちは1万8千円稼いだ。朝早くからやって来て、夜遅くまで。キツイ日々だった。
「皆で日雇いバイトを頑張れば、1日で貯まった金額ですね」
水口楓が言わなくていい追い討ちをかける。
「でもこれでトリ先生の誕生日を祝えますね」
「もう2日ほど過ぎたけどね」
それでも僕は満足だった。みんなと一緒に金を稼いだという満足感。次の日曜、みんなで墨磨り器を見に行くことになり、僕は不覚にも浮き浮きしていたものだ。
そんな9月のある日──。
朝の8時20分。いつものように登校すると水口楓が吊るされていた。
※
3年校舎前に人だかり。
「また吊るされてるぅ」とかざわめき起こってるし。
目を凝らす。プランプラン。4階窓から緑作務衣が。
ブラーン。プラーン。
幸いなことに、彼は気を失っているらしい。ピクリとも動かない。な、何が起こったんだ?
「緑色のムシみたーい」
いつの間に来たのか、隣りで竜也がニタニタ笑ってた。
「た、たつや……?」
尋ねるまでもない。コイツの兄ちゃんだ。コイツの兄ちゃんの仕業で間違いない。
いつからだ? 下手すりゃ昨日の夜からこの状態なのかもしれない。例によって黒作務衣は重役出勤らしいから。
「使い込んだらしい」
今度は赤作務衣。
うわ。僕、いつの間にか赤とピンクに挟まれてるし。
「俺様たちが必死で貯めた1万8千円、アニメの限定DVDボックスに費やしたらしい」
許せなーい、と竜也も叫ぶ。
部費を始め、金銭の管理は全て水口楓が行っていたのだ。何せ曽良三々、計算ができないから。
僕たちはプラプラ緑ムシを見上げた。じっとりした目で。
そりゃ吊るされてもしょうがないよ。無理ないよ。
【10月・前編につづく】
良かったらマンガもみてね。こっちもアホだよ。
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