「そうだ。電話、電話」
僕は慌てて携帯を取り出した。電波を求めて階段を上り3階へ。
みんなもゾロゾロ付いてきた。曽良三々がすぐに出てくれればいいのだが。基本的にあの人は電話に出ないから。
ああ、水口楓が言ってたな。
『曽良君は常に電話にでんわ』
超古典的オヤジギャグだな。
いや、そんなことは今どうでもいい。とにかく曽良三々が怒るにしろ無視るにしろ、ただ一つ言えることが。
あの人のお怒りは、本気で怖い──ということ。
とばっちりで吊るされては敵わない。
奴の鞄にネズミがいると知ってしまったからには、味方面して忠告を与えるのが賢明だと、僕は判断したのだ。
何て言うか……生きる知恵?
『もぐ。もしもし』
幸いなことに奴はすぐに電話に出た。モゴモゴ言ってる。案の定、うんPチョコ食べてるに違いない。
「ふ、副部長、あのっ……!」
えっと。何から話せばいいんだろうか。チラッと元凶を見やると宮野は虚ろな感じ。島田は恐怖でカタカタ震えている。
「大丈夫だよ」
僕は島田に耳打ちした。曽良三々を刺激しないよう、僕がうまくやるから。
「あのっ、副部長。目つむって鞄開けてください」
『んん?』
うわ。我ながらヘタなこと言った。視野の端で島田が大きく顔を歪めるのが分かる。
『モグモグ。鞄? 開けるの?』
「は、はい。できれば目をつむって……」
『嫌だ。面倒臭いの、大嫌い』
そして、唐突に電話は切れた。本気で話通じねぇ、あの人。
「仕方ない……」
不審顔の島田に、今度こそと頷いてみせる。
次は水口楓だ。
ケンカ中とはいえ、あの人たちは大抵いつも一緒にいる。うまく言って、奴にネズミを追い出してもらおう。うん、曽良三々よりは話が通じる……筈だし。
僕は必死で電話をかけ続けた。
何で僕が? 当事者がやれよ、とも思うが宮野と島田は錯乱してて使い物にならないし、竜也は卒倒してしまったし、トリ先生はアレな感じだし。結局、僕が何とかするしかないんだ。
『はい、水口楓でございます』
コール3回で、奴は面白げな応答で出て来た。
「水口先輩、僕です。原田です」
瞬間、通話が途切れる。アレ? 僕は再び電話した。
「水口先輩? 原田ですけど。さっきは急に切れてしまって」
『………………』
暫しの沈黙。
「あの、水口先輩?」
電話の向こうで小さな溜め息。
『はて、原田君とは一体どこのどなた様のことでございましょうかね』
再び──プツッ。すごく無慈悲な感じで通話は切れた。
「ああ、そうだった……」
あの人、先月吊るされた時に笑ったとかで、字ャっ部のみんなを許してないんだったっけ。
まったく、難しい人だ。大人気ないにも程がある。
て言うか、理不尽だ。あの場合、悪いのは明かに水口楓の方じゃないか。僕たちのバイト代でアニメのDVDを買ったのは、ある意味犯罪だろ。
「くっ……!」
僕は小さくて頼りない通話機器を握り締める。でも放っておくわけにもいかない。
「そうだ、鴨先輩だ」
忘れがちだけどあの赤作務衣も3年生なんだから、一緒に修学旅行に行ってる筈だ。奴に連絡して……。
「ああ、ダメだ。奴は携帯持ってないんだった」
あの人も友だちがいないから。だから携帯を持つ必要もなければ意味もないのだと。かえって空しくなるだけだから持たないとかいう話を聞いたぞ。
「アイツ、本当に役に立たない。せめて1回くらい役に立てよ。あの赤作務衣がァ」
無論、鴨自身に罪はない。それは分かっている。あいつもまさか遠く離れた学校で、後輩にこんな悪口言われてるとは思うまい。
「う……、原田くん……」
島田の様子もおかしくなってきた。顔面蒼白で冷や汗をダラダラ流している。
「だ、大丈夫だって。僕が何とかするから……」
「う、うん……」
しかし汗は止まらない。額から頬から、面白いように透明な液体が溢れ出てくる。そのうちカタカタ震えだした。
「島田っ?」
奴の肩を揺すったのは、僕じゃなくて宮野だ。
「……ネズ…………オレもなんだ」
「え?」
「オレもネズミなんだ……」
何言ってんだ、コイツ?
僕と宮野は顔を見合わせる。極度の緊張感で島田の奴、おかしくなったのか?
「しま……?」
「あうっ! オレもネズミなんだッ!」
奴が突然号泣する。
「そんなわけないだろ、お前がネズミなわけないだろが。お前、人間だろッ!」
たしなめる宮野も、随分おかしなことを言ってるように思う。
「ちがうんだ……。ネズミ入れたの……オレも…………」
「ああ?」
宮野の隣りで3年の鞄を運んでいた島田の思い詰めた表情を思い出す。
コイツも右手に鞄、左手にネズミを持っていたのか。この二人、朝っぱらから何やってたんだよ。
抱き合って泣きじゃくる二人があまりにも鬱陶しくて、僕は両者の間にわざと割って入った。
「じゃあ、うちの副部長の鞄には今2匹のネズミが入ってるってことか?」
最悪だ、コイツらの発想。
「いや、違うんだ。その……」
ゴニョゴニョ言ってる。
「何? 聞こえない」
「ゴニョ……みずぐちゴニョ」
「え? 水口様が何だって?」
宮野が我を失った。島田は更に怯えたように身を縮める。
「みずぐちかえでのかばんにねずみを……」
「何……?」
水口楓の鞄にネズミを?
つまり島田がネズミを忍ばせたのは曽良三々の鞄じゃなくて、水口楓のそれだったと。
水口を好きな宮野が復讐の為に曽良三々のバッグにネズミを入れて、宮野と付き合ってる島田が浮気(?)に怒って水口バッグにネズミを?
何だそれ? ややこしい。既にややこしい。
「だって……だって、宮野がいけないんだっ! 水口様、水口様って……ヒッ!」
島田の悲鳴は一瞬で消えた。島田の姿も一瞬で消えていた。
「おおぉーーーッ!」
宮野が吠えたのだ。1年生にして陸上部の主力組である彼女のスピードとパワー。
目を凝らせば僕にだって見えた筈。宮野の手が翻り、一瞬にして島田の足首をつかんで紐を巻きつける。そのままの勢いで窓の外へ放り投げた。
「ギャーーーッ!」
校庭からいくつもの悲鳴が聞こえる。僕は慌てて窓から身を乗り出した。
「うわ……」
はるか下でプランプラン揺れている島田が見える。ピクリとも動かない。失神しているようだ。白目を剥いているのが分かる。何せヨダレが凄い。ボトボトと地面に降り注いでいる。
し、島田を助けに行かなくちゃ!
駆け出した僕の前に立ちはだかるのは、顔を強張らせた宮野だった。
「水口様を助けろ!」
「ヒッ!」
「水口様を助けろって言ってるだろ!」
僕は震える手で再び携帯を取り出す。島田救出は諦めた。宮野の剣幕が怖すぎる。ゴメン、島田。
「た、ただいま。ただいま連絡をおとりいたしますので」
『水口楓でございます』
面白い応対で渦中の緑作務衣が出て来た。
「あの、原田です。原田タローです。あの、切らないで、水口先輩、あの……副部長の鞄をちょっと開けてもらっていいですか? それで、えっと……」
この状況で、僕はちょっとだけ賢いことを考えた。
水口楓に曽良三々の鞄を、曽良三々に水口楓の鞄を開けてもらうのだ。
両者をうまく言いくるめて、互いのネズミを放出させる。
手間は同じだが、自分の鞄にそんなモノがいると分かるよりは幾分マシな反応を示すだろう?
『ちょっと、原田君? その悲鳴は何ですか?』
吊られた島田に対しての悲鳴がもの凄い。電話の向こうの水口楓ですら訝しむ音量だ。
「あの、だから副部長の鞄を……」
『聞こえません! 悲鳴がすごくて何を言ってるのか全く分かりません』
「水口先輩? 待って……!」
電話は唐突に切れた。再びかけ直しかけた僕の指が不意に止まる。
背後に走った緊張──あるいは殺気?──に気付いたからだ。
振り返った僕の眼前で、宮野が立ち尽くしている。
「ヒッ……!」
彼女の顔面に灰色の物体が。モゾモゾ動いては「チゥチゥ」と鳴く。
「ネ、ネズミがぁぁ……」
呻いて宮野はその場に崩れ落ちた。白目剥いて失神している。何せヨダレが凄い。
彼女の後ろにピッタリ立って、ネズミの尻尾をプラプラぶら下げてるのはニタニタ笑いの不気味君だった。
「ウヒヒ。うちの兄ちゃんの復讐だよ~」
ピンク作務衣の不気味君、ニタニタ笑いながら廊下を走り去って行ってしまった。ネズミの尻尾をつかんで振り回している。廊下を行く生徒たちの悲鳴が徐々に遠のいていった。
「どうしたらいいんだ……」
僕は携帯をボトッと落としていた。
遠い信州の話だった筈なのに、恐怖の余波は確実に僕たちの周囲を脅かしている。
「ちょっと待って。ややこしいったらないぞ?」
宮野が水口楓を好きで、曽良三々が水口楓を吊るして、島田は宮野と付き合ってて、宮野は曽良三々を恨んで、トリ先生のトモダチはネズミだけで、宮野が曽良三々の鞄にネズミを入れて、島田も水口楓の鞄にネズミを入れてて、曽良三々と水口楓は吊るした吊るされたの関係で恨みがあって、それで二人の鞄には今ネズミがいて、竜也が異様なお兄ちゃんっ子で……何だ、そりゃ? ややこしいったら、ない!
「どうすりゃいいんだ?」
助けを求めるように振り返ると、トリ先生が虚ろな表情でこっち見てた。
「ワシ、遂に小さいトモダチにも逃げられた……。どこかに行っちゃった」
「………………」
放っておこうかと思ったけど、ちょっと可哀相で。
「ト、トリ先生の友達だったらアレじゃないですか? 竜也が持って行っちゃったヤツ」
「違う! ワシのトモダチはもっと毛の色が薄いのじゃ。茶色っぽいのじゃ!」
「はぁ……」
どうやらネズミの個体を見分けているらしい。この人、もしかしたら人間じゃないのかもしれないな……?
とにかく僕はトリ先生と、それから駆けつけて来た数人の男子の手を借りて、島田を引き上げる。泡吹いてる島田は、そのまま救急車で搬送されていった。トリ先生が付き添って行く。
去りゆく救急車を見送ってから、僕は再び携帯を。
正直に言おう。正直に言って,そして鞄からネズミを出してもらおう。遠い信州でも救急車騒ぎが起こったら(メンバーがアレなだけに、パトカーも数台出動する事態になりかねない)いたたまれないもんな。
『自分大好き 部活大好き 運動大嫌い 曽良三々です』
すんなり出て来た黒作務衣のノンキな声。うわぁ……久々に聞いたな、そのフレーズ。
「いいですか。副部長、よく聞いてください。今副部長と水口先輩、お二人の鞄にはネズミが入ってるんです。屋外に出て、そっと鞄を開けてください。ネズミが逃げていくのを待って……ちょっと、副部長?」
『ヒヒヒ……ヒッヒッヒッ』
「ふ、副部長?」
よからぬ笑い声をあげている。受話器の向こうで水口、水口と声がして、それからけたたましい悲鳴が響いた。続いてドン、と何かが倒れる音が。
『クク……クククッ』
あの黒作務衣、水口楓に鞄を開けさせたな。ネズミがピョンと飛び出して、それで水口楓は卒倒したと。
今頃、白目剥いてるに違いない。ヨダレをダラダラ垂らしながら。ああ、何でだろ。手に取るように分かるよ。
『楽しかったよ。ククッ。オヤツでも食べよう……ギャッ!』
再び、ドン! 今度は曽良三々が倒れた。オヤツ袋から出て来たネズミに驚いて卒倒したらしい。
僕は静かに電話を切った。ダメだ、もう収集がつかない。
「もう帰る……」
全てを投げ出してしまおう。僕は上着を取った。
「ちぅ?」
カワイイ声がすぐ耳元であがる。
瞬間、背筋にゾワリと寒気が走った。僕の上着のポケットから、小さな茶色い頭が飛び出していたのだ。
「とりせんせいのともだちの……?」
腰の力が抜けて、僕はその場に倒れこむ。意識を失う瞬間、プププと不気味な笑い声が聞こえた。