HEY!字ャっ部16(11月・後編)

【11月課題 『みんな深爪』】


【11月〈後編〉僕の前歯】
 11月・前編はコチラ


 聞こえてくるフルートの調べ。これはフォーレの幻想曲だな。いい音色だ……。エリートの僕はクラシックの造詣も深いのだ。

「ギャギャオオォーーーッ! ウワワン! ギャアォーーーッッッ!」

 ……何だ、一体。悲鳴? 怒声? 雄叫び? の主は曽良三々だ。かなり激昂してる。ああ、この人部活大好きだったもんな。

「ワォワォワォン! ワンッ!」

「貴様なんか殺してやると兄ちゃんは言ってます」

 通訳すんなよ、竜也。

「オオーーッ! ワォォォン! ハァハァ……フルートの音色を……かき消してや……る…………」

 息切らしながらワンワン言ってる。確かに耳のすぐ側でこれをやられちゃ、フルートの音色に耳を澄ますどころの話じゃない。

「兄ちゃん、賢い!」

 竜也がいたく感動して一緒に叫びだした。

「ギャーーーッ!」

「ギギャァァァッッッ!」

 興奮したらしいトリ先生もそれに加わる。

「フギャギャギャーーーッ!」

 いまいち、そこまでは乗り切れない鴨はじめと僕はちょっと離れた所からポツンと彼らを見守るだけ。


 水口楓の裏切りで、文化祭は空しく終わった。

 2日目には盛り返そうと客引きしたが、逆に失敗した。完全な敗者だ。書道室にはたった1人のお客さんも来なかったのだから。

 結論を言えば、こうだ。字ャっ部の中でモテてたのは水口楓のみだったと分かっただけだ。散々イケメン部だ何だ言っときながら、今まで女子が集まってきてたのは全てアイツ目当てなだけだったのだ。

 そりゃそうだな。水口楓はあれでなかなかエレガント(?)だし、フェミニストだし、人に……いや、女性に親切だもん。アイツが抜けりゃ、うちの部なんてただの変人作務衣集団でしかないもんな。

 その中に自分も入っていると自覚した瞬間、何だかすごく落ち込んだけど。

 ああ、流れてくるフルートの調べに癒されるんだか、ムカツクんだか。

「ギャオー!」
「ギャワン!」
「ワンワン!」

 こいつら、うるさいし!

 フルート部は大人気らしい。たった1日にして入部者が2ケタいったとか。しかも全員、女子。この勢いはまだまだ続きそうだ。

 しかも書道室のはす向かいの空き教室で行っている為、フルート部員の女子たちがチラチラこっちを覗きに来るのだ。ショボーンとした様子の僕らを見ては、クスクス笑って去っていく。

 ああ、日々積もるストレス。

「水口の悪い噂を広めてやろうよ」

 竜也が意気込んだ。兄も頷く。

「アイツ、うんP食べるって言いふらしてやれ」

 そりゃあんただろ!

「うんPはともかく、アイツは人の顔を覚えられないって話だぜ。そういう脳の病気らしい」

 ここぞとばかりの鴨情報。当てになるのかどうか。いや、待てよ? そう言えば……。

「いつだったか水口先輩、言ってました。人の表情は刻一刻変化します。その一つ一つを記憶してなんかいられません。従って人間の顔を覚える事は不可能ですって」

 その発想がそもそも分からん。

 そういやどこか異常な感じはするな、あの人。変な所で神経質だし。大体、誰に対しても敬語で喋るなんてありえないだろう。

「それにあの人、すごい深爪だし。ちょっと病的ですよね」

 言ってからしまった、と思った。みんなジッと己の指見てる。曽良兄弟も鴨はじめも、果てはトリ先生も。

「み、みんな深爪ですか! ここは深爪部なんですか!」

 よく見りゃみんな、爪の白い所がまったく無い。キレイに、キチキチに、食い込むように切られてる。みんな病的だった。

「でもワシ……」

 恐ろしいことを打ち明けるようにトリ先生がオズオズと手を挙げた。

「ワシ、6本目の指は爪切りしたことない。爪はあるのじゃ。でも、伸びてこんのじゃ」

「そ、そうですか……」

 慰めるべきところなのか? 僕にどう反応しろと? 結局、僕は無視することにした。

「い、いつまでもここでワンワン言っててもしょうがないでしょうが。女子たちが我々のことを何て言ってるか知ってます?」

「? 貴公子?」

 どこまでも厚かましい自己評価の曽良三々。貴公子って、そりゃ水口楓でしょうが。いやいや、奴とてそれは自称だし。

「犬ですよ、犬! 文字通りワンワン言うから犬、なんですよ!」

「私が犬……」

 黒作務衣、本気でショック受けてる。

「タローくん! 兄ちゃんに何てこと言うんだよッ!」

「いや、僕じゃな……痛ッ! 痛たッ!」

 異常愛の弟にポカポカ殴られ、僕は書道室を追い出された。

     ※

「盆にはボンと辞めてやろうと思ってましたよ」

 ここにきて尚もオヤジギャグ。フルート片手の水口楓を前にして、僕はおずおずと切り出した。

「お盆に何かありましたっけ? ああ、無人島ですね。無人島サバイバル生活……いや、あの時は特に喧嘩するようなことは何もなかったような……?」

「はい。あれはある意味楽しい日々でした。いえ、とにかく! あなた達の馬鹿っぷりにはほとほと愛想が尽きたということですよ。もう一緒にはいられません」

 いや、あんたも大概だろ。

 さて。数日が過ぎた。

 フルート部の人気も一過性のものだったようだ。

 爆発的に増えた部員も、水口楓のあの嫌味っぷりと最悪のオヤジギャグに音を上げて、ものの一週間で次々去っていったらしい。

 そうなると何だか憐れなもので。

 書道室はす向かいの空き教室で一人ポツーンと座っている水口楓の姿が嫌でも目に入るのだ。

 字ャっ部の連中も同じ気持ちなのは分かる。課題の練習『みんな深爪』もそこそこに、チラチラとフルート部の方を見ている奴等。

 そこで意を決して僕がやって来たわけだ。

「こんなことして、一体何が望みだったんですか。字ャっ部から離れて、でも本気でフルート部を作りたかったわけじゃないでしょう」

 宥めるように、できるだけ優しく言うと水口楓は珍しくしおらしい感じで頷いた。

「曽良君に吊るされた恨みを晴らしたい一心でした。ボクにとっては恐らく最後の文化祭だったのに……馬鹿なことをしました……」

「いいですよ。もう字ャっ部に戻ってきてください」

 トレードマークの緑作務衣を差し出すと、一瞬迷ってから水口楓は首を横に振った。

「駄目です! それではボクのプライドが許しません」

「プライドですか?」

 そして、水口楓はとんでもないことを言い出した。

「曽良君を吊るします。そうしたらボクの心は晴れるでしょう」

 晴れるでしょうって……。

「いや、どうぞ? 言っておくけど、僕は絶対に手伝いませんからね」

 水口楓、目を見張ってこっち見る。

 え、何? その目は何?

「心外です」とか言ってるし。むしろこっちが心外だよ。

「ボクに出来るわけないでしょう。あの曽良君を吊るすなんて、恐ろしい事この上ナシです」

「いやいや、あんたが……」

 怖いのは僕だって同じだ。

「お任せします」

 膝を抱えて窓の外見る水口楓。その虚ろな表情。口ずさむ陰気な調べ。

「お任せしますよ、原田君……」

 仕方ない。僕は彼の元からそっと離れた。

 部室に帰って一応報告する──奴の要望を。

「副部長を吊るしたい。そう言ってました。ヒッ! 僕じゃない。僕じゃなくて水口先輩が……」

 曽良三々と変態弟に殺気が走る。そもそもいつのまに、何で僕が両者の間に立つことになったんだよ。

「よくもうちの兄ちゃんを……。アイツ、もう1回吊るしてやってよ!」

「待て、竜也」

 先に殺気を消したのは兄の方だった。

「私が吊るされれば、水口は本当に戻って来るんだな」

「はぁ、まぁ……そういうニュアンスでしたけど?」

 僕としても歯切れが悪い。

「ダメだよ、兄ちゃんッ!」

「そうじゃ! 危ないよ、曽良ちゃん!」

 竜也とトリ先生の絶叫を止める曽良三々。穏やかな表情だ。

「私と水口は3年間、共にこの字ャっ部を育ててきた。今、こんなつまらないことで争いたくはない」

「あの…………」

 鴨が1人、さみしそうに何か言ってる。

「あの、俺様も一緒だった。3年間……」

 ──誰も聞いてないし。

「吊るされろと言うなら、私は吊るされても構わない」

 穏やかに言う曽良三々に、部室の皆は涙した。

 ただし、僕は知っている。彼の額にビッシビシ青筋が立っていることを。相当我慢してるっぽい。

 ああ、この人は根っからのSだからな。自分が不当に傷つけられたりするの、耐えられないんだな。


 その日の放課後は、メン高史上に残る酷い騒動に明け暮れた。

「オォォォォォーーーッ!」

 屋上で雄叫びあげてる曽良三々。

 校庭からそれを見上げる僕たちと水口楓。通りすがりの生徒に、近所の知らないオバチャンやら。ものの数分で校庭は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

「オオオォォォォォッッッ!」

 そんな中──曽良三々、柵を乗り越え自ら飛ぶ。両手足ピンと伸ばして、あくまで目は見開いて真っ逆さまに。お、男らしい。

「オオオオォォォーーーッッッ!」

 足首に巻いた紐は長く、落下した曽良三々の顔面は地面スレスレの位置でようやく止まった。大きな揺り戻しで、再び上空に舞い上がる。そして、下降。

「オオオォォーーーッ!」

 何か壮絶な感じだ。意地でも失神しない曽良三々、雄叫びを上げ続けている。

 それを何度か繰り返してからプラーンプラーン……地面近くを小さく揺れるようになった黒作務衣を、僕は抱き止めた。

「も、もういいでしょう。凄いですよ、この人は……。戻ってきてくれますよね、水口先輩」

 水口楓は焦点の合わない目でこっちを見た。

「ハァッ!」とか言ってる。失神していたのは、むしろこいつの方だったか?

 僕だってそうだ。全身の震えを自覚しながらも、とにかく副部長の足首のロープを解く。ズルリ。曽良三々の身体が僕の上に滑り落ちてきた。

「痛ッ! ガッ!」

 奴の踵が僕の顔面に入り、とんでもない激痛が。

「ああ、ごめん」

 僕を踏み台に、立ち上がった曽良三々は一躍英雄にのし上がった。周囲の異様な興奮と歓声に、上機嫌で手を振って応えている。

「思い切って 飛んでみたけど 楽しくて──曽良三々」

 一句ぶっ放してるし。

「痛た……アッ!」

 フラついて転んだ僕。地面に顔からブチ当たる。何で激しいダイブした曽良三々じゃなくて、僕に被害が?

「…………?」

 ふと前を見て、僕は嫌な予感に苛まれる。

「何コレ?」

 何だか微妙な大きさの白いモノが転がっているのだ。小指の爪より小さいそれは……?

「まさか……」

 おそるおそる指を口の中に入れてみる。案の定。前歯の感触が変だ。半分折れてる?

「僕の前歯……」

 そこで僕の意識は途切れた。

 目を覚ますとちょうど歯医者の診察台。

「ボンドでくっ付けてみますよ~」

 なんて医者が言っている。待って? ボンドってどういうこと?

「うまく付かなかったら、神経抜いて2本とも差し歯にするからね~」

 ──神経抜いて……? 2本も?

 そこで僕の意識は再び途切れる。

 この日以降、僕は何よりも前歯を大切にしている。取れないように、折れないように。そっとそっと大切に。神経を抜かれるなんて恐ろしい。

 何で曽良三々じゃなくて、僕がこんな悲惨な負傷を?

 たった1つだけ慰められることがあるとすれば、倒れた僕を歯医者に運んでくれたのがトリ先生だったということだけだ。ニューの自転車の後ろに乗っけて。

              12月・前編につづく

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